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日本では当時、イギリスRCAの日本部門であったRVC株式会社(現在のBMGファンハウス)から1977年1月に「すてきなサンデー」は発売されました。このデビューシングルは、たちまちトップ10ヒットとなり、彼らは日本での注目を集めました。その後5枚のシングルを次々に発売し、いずれもトップ20ヒットとなりました。1977年のクリスマスにはジャパン・ツアーを行い、続いてフィリピン、オーストラリア、ドイツとツアーを訪れました。特に日本では、若者達の心をとらえ「バスターマニア」呼ばれる聴衆の現象が起こりました。
バスターは日本のテレビ番組でもライブ演奏をこなし、あの有名な武道館でのコンサートは、2回の公演のチケットを完売しました。また、日本のベスト・セラーとしてゴールドディスクを受賞しました。彼らはまた、リバプール出身のバンドであることから、ティーンエイジャー・バンドとしては素晴らしいライブ演奏をすることから、ビートルズと比較されました。
またオーストラリアでは、1977年シドニー・フェスティバルでオペラハウスに集まった25万人の聴衆の前で公演しました。
1978年1月、バスターはイギリスに戻りました。5枚のヒットシングルを飛ばし、4枚のベストセリングアルバムを出すまでに達した彼らへの期待は高まっていました。しかし、彼らが海外ツアーに出掛けている間に、イギリス本国の音楽市場は「パンクロック」に取って代わられ、バスターのイメージは時代遅れの物となっていたのでした。彼らのレコード会社であったRCAからは、もはや支援を得られる事は無くなり、1979年、レコード会社そして2人のマネジャーとの別れが来ることになりました。
新しいマネジャーの提案でバンド名を「ザ・ジャックス」(The
Jax)に変え、1980年にこのバンド名で、デイブ・クラーク・ファイヴのカバー・バージョン「ビッツ&ピーシス」(Bits
& Pieces)のシングル盤をインディー・レーベルからリリースしましたが、そのシングルが反響を得る事はありませんでした。若者達は、そのバンド名と曲のスタイルが彼らには相応しくないとして、再度レコード会社を離れることになり、新しいマネジャーと共に一から出直すことにしました。
ロブは弟のアランと一緒に曲作りを始めていました。そして、地元の海賊ラジオ曲、マージーランド・オータナティブ・レイディオ(MAR)で彼らのデモテープがかけられるようにしたのでした。そのMARはマージー川河口に停泊中の船内から放送を続け、他のどのラジオ局も取り上げない音楽をプレイしていました。その頃、ロブとアランは、「ロブ&アラン・フェナー」の名前で地元のパブやクラブでデュオとしての演奏活動もするようになっていました。
その頃、バスターのリードギターリストだったピートもまた、別の音楽への興味を追求したいとグループを脱退し、スタジオレコーディングに専念し始めました。1981年、バスターのオリジナル・メンバー3人、ロブ、レス、ケビンはバンド名を変えて「オータナディブ・レイディオ」(Alternative
Radio)となりました。というのは、海賊局だったMARは見つかって摘発され、その機材は警察によって没収されました。そこで、ロブとアランは「オータナディブ・レイディオ」をバンド名に使うことにしたのでした。アランはその頃、曲作りに関わりデュオとしての演奏には関わっていましたが、まだバンドのメンバーではありませんでした。
1982年、彼らは、リバプールの「バトル・オヴ・ザ・バンズ」(Battle
of the Bands)のコンテストに参加し、優勝しました。しかしその時、ドラマーのレスが他の活動に専念したいという理由でバンドを離れ、オリジナル・メンバーが2人となった1982年10月、バスターは正式に解散しました……。そこから「オータナディブ・レイディオ」が始まろうとしていたのでした……。
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